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愛はナルシスの海に溶かした vol.4

愛はナルシスの海に溶かした④ 〜逗子傷心ショートトリップ〜

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この連載は... ――何度同じことを繰り返すんだろう。 愛に傷ついた27歳の奈緒子は、ぬいぐるみになった祖母“光子さん”と死んでしまった恋を“供養”しに逗子の海へと向かう。幼い頃から行ってきた“儀式”と光子さんとの対話を通じて、徐々に癒されていく奈緒子。愛に傷つくことを知っているすべての人に読んでほしい、都心から1時間で行ける海“逗子”を舞台にした傷心小旅行ストーリー。

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足がひたひたに浸かるくらいまでのところで立ち止まると、光子さんが「もっと奥まで進んでいいわよ」と言う。

 

「ワンピース着てるけど?」と言っても、「いいから」と言ってきかない。わたしは綿がたくさん詰められた光子さんの腕を握った左手の力を強めて、海に入っていく。

 

足がつくかどうかのギリギリのところでようやく、

 

「このあたりでいいわね」と光子さんが言った。

 

力を抜いて浮いてごらんなさい、と言う光子さんのアドバイスに従って、足元を蹴って、浮いた。

 

逗子の朝の空が見えた。身体が軽くなって、濡れた白いワンピースが張り付くのがわかる。頭から肩、腕、胴体、足、足の指先まで、海水がわたしを覆った。海の表面に、わたしの輪郭ができた。それはちょうど、海に浮く水仙に似ていた。

 

「菜緒子ちゃん、思い出して。この感覚があなたが愛して、愛された人との思い出よ」

 

その瞬間、わたしの中に彼が入ってきた。毎度会うたびに頭を撫でてくれたあの人の手のあたたかさ、重み、身体を撫でる感触、話したこと、笑ったこと、泣いたこと、すべてがわたしを取り囲む海に内包されていた。

 

「菜緒子ちゃん、水仙の神話の話、してもいいかしら」

 

波音のせいか少し遠い声で、光子さんは言う。

 

「うん」

 

「水仙はね、学名を“ナルシス”っていうのよ。女神エコーがナルシスっていう男の子を好きになるんだけど、受け入れられなかったショックで“山びこ”になってしまうの。それを知った神々はナルシスを水仙の花に変えて、水仙になったナルシスは水面に映る自分を見て、叶わぬ恋に朽ちるの」

 

「どちらも悲恋ね」

 

空を見上げながらわたしが言うと、「そうかしら」と光子さんは言った。

 

「だってね、自分を愛することは突き詰めると、愛してくれた人を愛することになるのだと思うわ。だから神々はエコーが愛したナルシスに自分自身を愛させたんだと思う。そうして間接的に2人の間を取り持ったのよ。だから菜緒子ちゃんは愛された記憶を通じて、自分を愛して。それがあなたの恋を成仏させる唯一の方法よ」

 

そう言われたとき、わたしはいっとう泣いていた。幸福な気持ちだった。関係性を成立させなければならないと思っていた。冷たかった海は、だんだんとぬるくなって、いよいよわたしはふやけていった。あの人に受けた愛に揺蕩って、泣いた。しょっぱかった。もしかしたら涙じゃなくて目から海水が出ているのかもしれないと思った。そのくらい、わたしはまるきり海だった。

 

どのくらい時間が経っただろうか。だいぶ沖まで流されてしまったようで、持ってきた荷物が砂粒ほどに見える。わたしは泳いで岸まで戻った。いつの間にか、水仙の花は手の中から消えていた。

 

ずぶずぶになってしまった光子さんに「ごめんね」と言って、思い切り絞り、岩の上で乾かした。疲れたのか、光子さんはだいぶ喋らなくなっていた。

 

でももう、ここからは大丈夫だった。昔、光子さんとしたみたいに木べらとペンを出して、ペンで木べらに日付と「失恋」の文字と自分の名前を書いた。そうして、砂で山をつくって、その山のてっぺんに木べらを据えて、いっぱいのチョコをバラバラと並べて手を合わせた。わたしの恋のお墓だった。

 

海の音を聞きながら、目を瞑ってしばらくお祈りをし終えたら、わたしはロウソクの灯を吹き消した。夏が本気を出して晴れ間が差してきたから、布製の光子さんは半分くらい乾いてきていた。

 

「光子さん、ありがとう」

 

そう話しかけたけど、光子さんはもう何も言わなかった。きっともう喋れない気がした。でも、それでもいいかな、とも思った。

 

きっと光子さんは海に溶けたんだと思う。海を蝶のように自由に揺蕩って、シゲルさんや他の男の人たちの思い出に浸って、自分を愛しているのだろうなと思った。

 

わたしはすっかり、満ち足りた気持ちでいた。この、逗子の海に来れば、愛に包まれることができる。愛した人との関係性以上に、その安心感がわたしを支えた。

 

今日は日曜日だ。9時を回って、海水浴に訪れるお客さんが増えてきた。バケツを持っている人は潮干狩りかもしれない。わたしや光子さんが海に思い出を預けているように、この人たちもまた、海に思い出を預けているんだろう。

 

コンクリートの階段を上がって道路まで出る。すっかり乾いたサンダルの裏は、足跡を残さない。バス停から海を振り返る。朝にコケていたサーファーが華麗に波に乗る姿が見えた。

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この記事を書いた人

佐々木 ののか

佐々木 ののか  

1990年北海道帯広に生まれる。筑波大学で国際開発学を学び、新卒でカバン屋に就職後、2015年6月より現職。ライター業では突撃取材に定評があるが、ジャンル・テイスト問わず幅広くこなす。共感性の高い文章を書くのが得意で、人間の葛藤や一見醜い感情に興味を惹かれる。関心があるテーマは、新しい夫婦・家族・関係性など。Wanderlustでは、「旅」をテーマにしたエッセイや小説を執筆していく予定。
Twitter @sasakinonoka

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