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愛はナルシスの海に溶かした vol.1

愛はナルシスの海に溶かした① 〜逗子傷心ショートトリップ〜

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この連載は... ――何度同じことを繰り返すんだろう。 愛に傷ついた27歳の奈緒子は、ぬいぐるみになった祖母“光子さん”と死んでしまった恋を“供養”しに逗子の海へと向かう。幼い頃から行ってきた“儀式”と光子さんとの対話を通じて、徐々に癒されていく奈緒子。愛に傷つくことを知っているすべての人に読んでほしい、都心から1時間で行ける海“逗子”を舞台にした傷心小旅行ストーリー。

zushi

水たまりにはまった後の靴の中みたいな気持ちを、供養しに行こうと思った。そうと決まれば話は早い。昨日の朝の出がけに服やメイク道具で散らした部屋からリュックを取り出して、“いつもの”道具を詰め込む。鏡越しに見えるわたしは瞼が真っ赤なのに落ちたマスカラで真っ黒で、何だかすごく可哀想な人みたいに見える。もしかしたら本当に可哀想な人なのかもしれないなと思ったとき、血の気がサッと引くのがわかった。

 

日曜朝の高円寺はとりわけ夜と朝の境目がなくて、道を歩く人1人1人がそれぞれ自分の時間を生きているみたいに見える。すれ違う人の“夜”に触れたら、思いだしてまた泣き出してしまいそうで、駅までの道を浅い呼吸で、早足で歩いた。中央線の新宿行きに乗り込み、もったりと座りこむ頃には、わたしはやっぱり、泣いていた。

 

「何回同じこと繰り返すのかな」

 

昨晩は、ここ1年ほど好きだった10歳年上の男の人に会っていた。彼はとってもセクシーだった。ずっと前から触れたいと思っていた。

 

「触れても、いいですか?」

 

そう聞いてみた。彼は黙ってうなずいて、私は彼の頬に触れた。頬を撫でて首に滑り落ちた手は肩から腕へ、そして脇腹をなぞって太もも、足の指先までをたどる。何をするわけでもなく、わたしはただ何度も彼の輪郭をなぞり続けた。彼もわたしに倣って、わたしの輪郭をなぞって、わたしはこの世にしっかりと存在しているという感覚がした。世界との境目を彼が形作ってくれる。わたしはすっかり悦に入った。そして、

 

「直接に触れたいです」

 

と言った。わたしたちはできる限り近づいて、触れあった。

 

一瞬の幸福の連続性はある意味で永遠だ。その瞬間が過ぎ去っても、わたしの記憶の中で永久に反芻できる。わたしはこの夜の記憶を、幸福を何度でも再生して、浸れる予定だった。

 

事が済んで何気なく一言、「わたし“たち”ってさ」と言って顔を上げると、これから捌かれる生きた魚みたいな顔をした彼がいた。知らない人を見る子どものような、他人の顔がそこにはあった。

 

行き場のない気まずさがピンポン玉のように胸のうちを何度も小突くのがわかる。頭に血を通わせる脈は、内側からこめかみを何度も打つパウンドのように高鳴り、わたしはいっそ気絶しそうだった。

 

真っ暗な部屋の中、財布と携帯だけ確認して、ワンピースらしき布をひっつかんで玄関に向かう。今夜のことも砂で作った城みたいに、過ぎ去った過去としてすぐに頭の中から消し飛んでしまうんだろうなと思った。また1つ、信じていた愛が終わってしまった。

 

毎度、今度こそはと思うのだ。愛さなければ楽なのにと思いながら、どうしたって愛してしまう。

 

「菜緒ちゃんは頭が良いのに、男のことになると学習しないわねぇ」

 

そう言って笑う、光子さんの声がリュックの中から聞こえる。光子さんというのはわたしのおばあちゃんで、死んでしまってからは昔光子さんが買ってくれたクマのぬいぐるみが、わたしの光子さんになった。光子さんはシングルマザーだった私の母の代わりにわたしを育ててくれた。気が多かった母の子であるわたしは、物心つく前も含めて一度も父親に会ったことがない。もっとも、光子さんも同じ理由でシングルマザーだったけど。

 

リュックの中から光子さんを取り出して、キッと睨みつける。

 

「光子さんだって、人のこと言えないじゃない。血は争えないんだから」

 

「あらあら、言ってくれるわね。だって、わたしはもう割り切れていたから。あなたはいつまで経っても全力で傷つきにかかるものね」

 

ぐうの音も出ないなと思った。光子さんを握る指にも力が入る。言わんとしたことが伝わったのか、光子さんが続けた。

 

「菜緒子ちゃん、大丈夫よ。だって今日は全部を供養しに行くんでしょう? やりきれなかった気持ちを全部仏さまにしに行きましょう。わたしも一緒に行ってあげるから」

 

黙ってコクンと頷いたとき、また涙がポロポロとこぼれてきた。お酒くさくて、まだ夜気分が抜けない日曜朝の中央線始発電車が新宿駅に着いた。光子さんをさっきよりも少し丁寧にリュックに仕舞った。これからわたしは、ぐちゃぐちゃの気持ちを供養しに、逗子の海に向かう。

 

vol.2へ続く»

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この記事を書いた人

佐々木 ののか

佐々木 ののか  

1990年北海道帯広に生まれる。筑波大学で国際開発学を学び、新卒でカバン屋に就職後、2015年6月より現職。ライター業では突撃取材に定評があるが、ジャンル・テイスト問わず幅広くこなす。共感性の高い文章を書くのが得意で、人間の葛藤や一見醜い感情に興味を惹かれる。関心があるテーマは、新しい夫婦・家族・関係性など。Wanderlustでは、「旅」をテーマにしたエッセイや小説を執筆していく予定。
Twitter @sasakinonoka

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