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さよなら、私のセクシュアリティ vol.1

20歳の私と女神たち エンタメ系ストリップ劇場「浅草ロック座」に魅せられて

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この連載は... 「女とは何か」等、自身のセクシュアリティに悩む筆者が、その葛藤を”成仏”させるために様々な場所や人を訪ねる旅をします。

ロック座

女性の“性”を解放する女神たち

 

女神がいる、そう思った。

浅草のロック座で初めてストリップを見たのは、20歳のときのこと。何で行ったのかはよく覚えていない。ある日急に思い立ち、磁力に惹きつけられるようにして1人でストリップ劇場に行ったのだ。

見ている者を焦がすような強い視線、ときに開放的に、ときに誘惑するように踊る彼女たち。一糸まとわぬ足の指先で天を突く彼女たちの姿は、自発的な意志に支えられているように見える。

私はそれまで、女は“受け身の生き物”だと思っていた。

夫の帰りを家で待ち、好きな男の出方を見ては喜ぶようなメールを送って好かれようとする。年齢や職業、既婚か未婚か、子持ちか否かのラベルを貼られやすく、面白おかしいコンテンツとして消費される。

とりわけ性に関しては、男性の願望やイメージを投影するスクリーンに過ぎないと思い込んでいた。どこで染みついた感覚なのかはわからない。しかし、いつの日からか貞操を守れば“つまらない女”だと言われ、奔放になれば“アバズレ”だと揶揄される、という擦り込みが拭えない。

だから“求められた型”にハマっていたほうが、楽。結局のところ、女の“性”は女性のものではないのだということを、20歳の私は無自覚にも、しかし、すっかり受け入れてしまっていた。

そんな私の目の前で、美しい肢体を自らまざまざと見せつけ、固定概念をぶち壊してくれる女神たち。実際のところ、どんな気持ちで踊っているのかなんてわからない。だけど、私にとって彼女たちは最強のヒロイン、ひいては“女性性のシンボル”に思えたのだ。

彼女たちは脱ぎ、その勇ましくも美しい姿に男性客は拍手する。泣く人もいる。女の身体はこんなにも美しいのかと、思わずその場で同じ規格であろう自分の身体を撫でる。生まれて初めて自分の身体があんなにも愛おしいと思った。

あの日から7年が経とうとしている。学生だった私は、まがりなりにも自分で働いて生計を立てる社会人になった。社会に出れば、色々ある。自分自身で抱える“女性性”への劣等感は澱となって心に沈殿してきた。

そんな折、私はあの日の希望の記憶を思い出した。
私は浅草ロック座で、“女性性の葛藤”を旅する。

日本屈指の観劇エリア、浅草

ロック座

浅草のメジャーな観光スポットと言えば、雷門や浅草寺、その間を結ぶ仲見世通り。テイクアウトできる甘味や人形焼き、せんべいなどの食べもののほか、刀のおもちゃや着物などが並び、“外向きの日本”を感じることができて面白い。浅草寺エリアは、日本の顔をした外国だ。

ロック座

ロック座

次いで思い浮かぶのは「合羽橋道具街」だろうか。調理道具から食品サンプルなど、各専門店には職人の魂が込められた逸品が並ぶ。

ロック座

浅草ロック座は、そんな浅草寺エリアと合羽橋道具街の間、「六区エリア」にある。ロック座の名前の一部にもなっている六区通りの「六区」とは、明治時代の公園整備計画の際に割り当てられたことが由来。

ロック座

元々歓楽街として都市計画されたエリアには、浅草演芸ホールや木馬館などが点在し、浅草に古き良き小劇場カルチャーを残している。浅草は寺や歴史的建造物のイメージこそ強いが、東京屈指の観劇エリアなのだ。

ロック座

そんな由緒正しい劇場の1つが「浅草ロック座」だ。ストリップショーを興行する浅草ロック座は有り体に言えば、風俗の一種。ネオン街や飲み屋街など、いわゆる夜の街が似合うような館が、お笑いや大衆演劇の劇場と並んで昼間から営業していること自体が、浅草ロック座がいかに地元の人たちに愛されてきたかという証のようにも思える。

いざ、7年ぶりの女神

ロック座

そうして散策しながらやってきた浅草ロック座。いざ館を前にすると、私は何だかドキドキしてきてしまった。好きな人やモノの前に立つといつもたじろぐ。私にとって浅草ロック座はまさに、憧れが詰まった恋のようなものなのだ。

ロック座

軽いめまいを自覚しながら、階段を上る。入場料を払って中に入ると、広がるには地元の映画館のようなこじんまりとした空間。6年前と何も変わっていない。しかし、安心したのもつかの間、今度は汗が出てきた。あれほど心を鷲掴みにされた女神たちに何の想いも感じなかったらどうしよう、と怖かったのだ。

ロック座

ブザーが鳴り、暗転。息を止める。舞台が明るくなると、思わず溜め息が漏れ出る。

敵わない、そう思った。

煌びやかでセクシーな衣装に身を包み、笑顔で踊る彼女たち。眩しすぎて見ていられない。だけど、目は離せない。彼女たちはやはり圧倒的に女神だった。

エンタメのストリップ劇場、浅草ロック座

ロック座

浅草ロック座の公演はプロローグとエピローグを合わせた7~8部ほどで構成され、女神たちは全体のテーマに合わせたダンスショーとストリップショーの2つの演目を踊る。明るく軽快な前者に対して、艶冶な後者。ひと幕の間に“まるで別人”になってしまう女神たち。陰と陽というべきか、昼と夜というべきか、1人の女性の2面性を見せてもらえるのも、ストリップの魅力かもしれない。

数ある劇場の中でも、浅草ロック座ならではの魅力を1つ挙げるとするならば、やはり「エンタメ要素」だろうと私は思う。休憩時間を挟んで後半が開演する前の時間には、踊り子が出演するCMのパロディ映像が流されることや、バックダンサーも一緒に踊ること、音楽にも最新のものを取り入れていることなどは、他の劇場にはない特徴だ。

ロック座

また、誰が行っても楽しめるというところもハズせない。ここで言う“誰”とは、18歳以上の老若男女すべてを指す。私は浅草ロック座以外の劇場にも行ったことがあるが、中には別料金で観客がリクエストしたポージングで写真を撮らせてもらえる「ポラロイド撮影」の時間がある劇場もある。ストリップショーと一緒に香盤に組まれているものの、ショーとは毛色が異なるそれを慣れていない方や女性が見るのは、少しハードルが高いかもしれない。

その点でも、ロック座はショーとしての要素が強いのでオススメだ。デートというなら話は変わってくるが、他のダンスショーやサーカス、美術館の展示を観に行く感覚と何ら変わりないと私は思う。浅草ロック座は、そのくらい誰もがライトな気持ちで行ける場所なのだということをもっと多くの人に知ってほしい。

公演を観終えた後、満たされたはずなのに、私はなぜかぽっかりと穴が開いたような気持ちになった。

女神たちは今日も紛れもなく女神だった。それなのに、どうしてだろう。

考えあぐねた挙句、私はある疑問に行きつく。

――彼女たちをあんなにも輝かせるものは何なのだろう。

つまり私は、女神の“素顔”が見たくなったのだ。「神の素顔が見たい」だなんて、とんでもない冒涜である。しかしながら、運よく1人の踊り子さんに話を聞かせてもらうことになった。

次回の記事で私は、ステージ上の女神との対談を通して、女性性葛藤の旅を続ける。

今月の旅のMAP

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この記事を書いた人

佐々木 ののか

佐々木 ののか  

1990年北海道帯広に生まれる。筑波大学で国際開発学を学び、新卒でカバン屋に就職後、2015年6月より現職。ライター業では突撃取材に定評があるが、ジャンル・テイスト問わず幅広くこなす。共感性の高い文章を書くのが得意で、人間の葛藤や一見醜い感情に興味を惹かれる。関心があるテーマは、新しい夫婦・家族・関係性など。Wanderlustでは、「旅」をテーマにしたエッセイや小説を執筆していく予定。
Twitter @sasakinonoka

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