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私はまだ、その日常を知らない vol.2

平凡な日々を送る私が標高3,776mからみた景色②

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この連載は... 夫の留守中、日本一の山をひとりで登る。ある日そう思い立った私<早苗>は、家事を全て投げ出し、富士山頂を目指した。平々凡々な結婚生活。刺激のない毎日。そんな日々に辟易としていた私は、そこで登山ガイドの美津子と出会う。美津子との会話、富士登山を通して、私が見たものとは…?「ねえ、それって誰にとっての普通なの?」”富士山”を舞台に、正反対のふたりを描く短編ストーリー。

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>> 第1話はこちら

ツアーの集合場所である新宿駅西口には、私と同じような格好をした人が既にちらほらと集まり始めていた。都会には不釣り合いな格好をした集団を、スーツを着た男性が一瞥し通りすぎる。

仕事へ向かう人の群れと今ここに佇んでいる自分の格好の違いに、非日常が始まるのだと、ふと思った。

「はい、皆さんね。これからね、バスにね、乗り込んでくださいね」

参加者の点呼をとり終え、旅行会社のスタッフが声をあげる。穏やかそうな中年の男性で、会社のユニフォームなのだろうか、派手な赤い色をしたジャンパーはなんだか不釣り合いに思える。

「座席表はね、バスの入り口に貼ってますのでね。間違って他の人の席にね、座らないようにね、気をつけてくださいね」

やたらと「ね」を繰り返す彼の口癖に、密かな笑いが起こり、それまで談笑していた人々が各々にバスへ移動する。

夏休み中なのだろう。

平日であるその日の参加者には、学生と思われる集団が多いように思えた。少なくとも、女ひとりで参加しているような人は、私の他に見当たらない。

バスに乗り込む際に見た座席表は、やはり私の横だけがぽっかりと空白になっていた。

 

私はまだその日常を知らないPhoto by haruriina

 

目的地に到着したのは午前十時を少しまわった頃だった。
出発地の新宿は、じっとりとした湿気で着ている服が肌にはりつくような暑さだったが、到着したそこは、半袖一枚では肌寒さを感じるくらいだ。

「はーい、皆さんね、注目してくださいね」

スタッフが、腕をあげて集団の視線を集める。

「今皆さんが立っているこの場所がね、五合目になります。ね。空気がさっきとは違いますよね。なんせね、標高2,300メートルのところまで既に登ってますからね。まあ、バスで、ですけどね」

スタッフの最後の言葉に、集団は乾いた笑い方をした。

2,300メートルと言われても、正直あまりピンとこない。

それは、他の一行も同じなのだろう。
得意げに話すスタッフの説明に真剣に耳を傾けている人は少なく、それよりも、自分たちはすでに日本一の山に踏み入れているのだという高揚感を、各々が味わっている様子だ。

 

私はまだその日常を知らないPhoto by Chitaka Chou

 

「待ってろよ!富士山頂!」

不意にひとりの男子学生が、空を指差し叫んだ。まわりの仲間からは冷やかすような笑いが起こる。

「待ってろよ!ですかあ。いい心構えですねえ。ね」と、中年のスタッフが微笑む。

「気合い十分っすよ」男子学生が照れくさそうに応える。

そんなふたりのやりとりに、今度は冷やかしではなく、穏やかな空気を含んだ笑いが起こる。表情にこそ出さないが、そこにいる誰もがまた、堪えきれずに叫んだ男子学生のように内なる興奮を秘めているようだった。

 

スタッフの一通りの説明が終わると、身支度を整え手荷物をロッカーに預ける。

全ての準備が完了し集合場所に戻る頃には、「山の天気は変わりやすい」とは本当のようで、先ほどまで青く晴れていた空はどんよりと曇り、霧雨が降り始めていた。

 

私はまだその日常を知らないPhoto by haruriina

 

登山は、山ガイドひとりにつき10から15人程度の6チームに振り分けられた。

「はいじゃあ、立花さん。立花早苗さーん」自分の名前が呼ばれる。

はい、と短く返事をしてガイドのもとへ足を進める。どうやらその班では私が最後に名前を呼ばれたようで、小走りで駆け寄ると、「これで揃いましたね」と、担当のガイドが弾むように言った。

「今回皆さんのガイドを務めます、今村といいます。下の名前が美津子なので、山では”みっちゃん”と呼ばれています。40歳を超えても、みっちゃんです」

円の中心に立つ女性は、明るい声で挨拶をした。
彼女が今しがた口にした「40歳を超えても」という言葉にどよめきが起こる。日焼けした小麦色の肌がそう思わせるのか、明朗快活な話し方がそう思わせるのか。とにかく、彼女ー、美津子は年齢に対して若く見えた。

それは化粧や服装で取り繕っているわけではなく、(むしろ彼女は化粧という化粧をほとんど施していなかったのだが)自然なそのままの姿で、実年齢より一回りは下のように思えた。

 

私はまだその日常を知らないPhoto by Masaaki Morikawa

 

「私のことは好きなように呼んでくださいね。それから、私が皆さんに指示を出すときは必ず、最初にチーム名を呼びます。なのでまずは、そのチーム名を決めましょう」

なるほど、と私は思った。

まわりを見渡せば私たちが参加するツアーのほかにも多くの団体が見受けられる。余所見をしているうちにほかの集団に紛れ込んでいた、ということが起こっても不思議ではない。

「せっかくなので、面白いチーム名がいいですね」と、美津子が屈託なく笑う。

「全員女性だから、富士山レディースはどうですか」と、誰かが言う。

どこかの暴走族みたいだと、思った。

「みっちゃんチーム、でええんちゃうかな」と関西弁の女の子が言うと、「自分の名前を大声で呼ぶのはちょっとねえ」と美津子自ら却下した。

少しは参加しなければと思い「雨上がり決死隊は、どうですか」とぽつりと呟く。美津子が興味深そうに窺ってくるので、「雨、やんでほしいので」と説明した。

視線が集まる。自らのセンスのなさを、これほどまでに呪いたいと思うことは後にも先にもないだろうと思った。が、そんなことはなかったようで。

「ええやん、雨上がり決死隊」と、真っ先に関西弁の女の子が賛同すると「うん、いいね。私そのお笑いコンビ好きだし」とほかのメンバーが続く。いいね、いいね、と皆がうなずき、妙にチームが活気付く。

「じゃあ雨上がり決死隊で決まりですね」と、美津子が満足そうに微笑む。

その後、登山に不慣れな人が前にくるようにと、二人一並びで列を作る。登山初心者であることに加え一人参加という理由から、私は、列の先頭を歩く美津子の隣を歩くこととなった。

「雨上がり決死隊の皆さーん。いざ、出発しますよー」

美津子の一声で、メンバーが「おーっ」と、拳を空に向かって突き上げる。私もたじろきながら、控えめに拳を握って続いた。

 

ついに始まるんだ、と静かに気持ちが高揚していた。

今月の旅のMAP

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この記事を書いた人

佐藤 萌

佐藤 萌

1991年福岡県生まれ。法政大学を卒業後、大手人材会社に勤務。
エンターテインメント(小説・漫画・映画・アイドル)をこよなく愛する。忙殺されがちな日々の中で、さまざまな作品を通じて「私生きてるな!」と、心揺すぶられ実感すること多々有り、現在は「作品やそれを創り出す作家に自分の時間もエネルギーも費やしたい!」と以前から抱いていた目標に向かって奮闘中である。

ありきたりじゃない旅Guide

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