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沖縄移住 × 働く女のモラトリアム vol.3

「東京から沖縄に移住して、私はのんびり生きやすくなりました」という美談を書けると思っていたけれど①

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この連載は... 2016年6月、縁もゆかりも思い入れのカケラもない沖縄に移住した。きっかけは友人からの電話。「組織から逃れて好きなことを仕事にすれば楽しく生きられる」と信じて会社を退職し、フリーライターになってから約1年。仕事と焦燥感と将来への不安に追われて、久々に死にたくなっていたタイミングだった。

沖縄移住

6月4日。東京・池袋のシェアハウスを発ち、私は沖縄に上陸した。

 

沖縄移住

 

ジェットスターから降りると、湿気の強いムワリとした暖かい空気と微かな潮の匂いに包まれる。紛れもなく沖縄だ。

 

「ここから私の新たな人生が始まるんだ……!」
 

そんな熱い希望に胸を焦がすヒマもなく、殺人的な日差しと猛暑の中10kgをゆうに超えるキャリーケースをゴロゴロと引きずり歩く。那覇空港から乗ったバスを下車して、観光名所でもある国際通りに降り立った。時々「つらい」と声に出しつつ、国際通りから徒歩10分の目的地へと向かう。

 

移住1日目と2日目の予定は「物件探し」である
 

東京でのシェアハウス生活がとても楽しかったので、私は沖縄での住居もシェアハウス一択で考えていた。

ネットで沖縄のシェアハウスを調べて気になる物件があれば管理人に連絡し、沖縄上陸前に3件の内覧予約を取り付けていた。

どの家も、立地良し(ビーチの徒歩圏内)、家賃良し(光熱費込みで3万~3万5千円)、あとはなんか楽しそうな雰囲気(「休日は住人とシュノーケリング☆」「庭でBBQもできますよ☆」など)だった。

沖縄に着いたらすぐ内覧をして、3件の中から決めてしまおうと思っていた。絶対決まると思っていた。シェアメイトとの楽しい沖縄生活が待っている気しかしなかった。

 

沖縄移住

 

3戦全敗した。
 
敗戦の記録は以下の通り。
 

1件目は「4人で楽しくシェアハウス☆」な那覇の家。

実際には現在家主(推定60歳の男性)がひとりで住んでおり、入居すれば家主と2人で定員らしい。話が違う。沖縄に来て見知らぬおじさまと2人暮らし、シュールすぎて笑えない。
 

2件目は「海辺でわいわいシェアハウス☆」な北谷町(ちゃたんちょう)の家。

間違いなくわいわい楽しそうだったが、入居者全員すでに出来上がったカップルだった。私の居場所どこ。
 

3件目は「静かな住宅街、夜は屋根の上で星空を見上げて……」な宜野湾市の家。

周辺は確かに静か。そして5m先もロクに見えない真っ暗で入り組んだ道が続く。新手のダンジョンかと思った。暗闇の奥にあったその家からは自動的に漂ってくる不気味さ。今晩にでもなんらかの事件が起きそうな雰囲気で星空どころじゃない。

 

そして、内覧が終わった。

どこにも決まらなかった。
 

これはつまり「翌日から住む家がない」を意味している。

移住2日目にしてホームレスの危機を迎えた。
 

 沖縄移住

 

救済の手を差し伸べてくれたのは、沖縄移住のきっかけである元ヤンの友人N。
 
N「2週間半だけなら私の家に来ていいで」 

神かよ。
 

引っ越したばかりという彼女の家は、沖縄県中部・北中城村にあった。地名を見て「ああ、ほくちゅうじょうむら」と知った顔をする私に「きたなかぐすくそん」と秒速で訂正が入った。

 

Nの家は、広い庭とベランダ付きの大きな一戸建て。ベランダに出るとため息が出るほど美しいオーシャンビュー。家の中もとにかく広い。部屋も多い。築年数が少し古いらしいが、3家族くらいは余裕で住めそうな豪邸である。

小高い丘の上で少し不便な立地ではあるが、近くには大きなイオンモールや人気のカフェもある。Nの友人2名が引っ越してくる6月末までの期間限定だが、私は思わぬ贅沢物件に住めることになった。
 
真「こんだけいい家やったら、家賃高くない?」

N「ううん、13万」

真「事故物件では」
 

北中城村の家賃はめっちゃ安いからね~と言いつつ「まあ私ここ来て毎晩金縛りなってるけどなwww」とN。どうかこの2週間は何も起きませんようにと祈る。

結局いろいろ起きたのだけど書くのも怖いからすべて割愛する。

 

沖縄移住

(N宅の前から見える景色)


 

沖縄には、那覇周辺のモノレール以外に電車が通っていない。県民の主な移動手段は車であり、Nや彼女の友人たち曰く「みんな徒歩5分のコンビニでも車で行くからな。沖縄県民はみんな運動不足やねん」らしい。

車やバイクを持たない私の行動範囲はとても狭く、最寄り、と言っても徒歩30分の距離にある大きなイオンモールに毎日歩いて通った。

 

沖縄移住

 

道を散歩していても、本当に誰も歩いていない。

いるのはハチとセミとチョウと私だけ。昼間はちょっと歩くだけで汗が噴き出し、緑豊かに茂る木々からは突然メガサイズの虫がぶぃぃぃんと飛び出してきて私はその度ぎゃぁぁぁあと絶叫して全力疾走した。
 

絶叫しても、熱唱しても、全力疾走しても、周りにはだれもいない。

家からイオンまでの自然豊かな散歩コースを「プライベートビーチ」ならぬ「プライベート小道」と名付けた。

 

どの道を歩いても、どの乗り物に乗っても、どの穴場なカフェに入っても、東京にはいつも人がいた。とてもたくさん人がいた。

「まだ東京で消耗してるの?」と沖縄から揶揄するつもりは一切なく、ただただ「外でひとりになれること」が随分久々で新鮮に感じられた。人が少なく落ち着いた村の雰囲気が、私にはとても心地よかった。

 

沖縄移住

 

前言撤回、イオンには引くほど人がいた。
 

なぜか中に小さな水族館のある「イオンモール沖縄ライカム」は、昨年できたばかりの大型商業施設。いつ行ってもモール内は多くの人でにぎわっており、平日でも家族連れがたくさんいた。

子どものはしゃぎ声や館内放送で少し騒々しいフードコートが、当面の仕事場になった。モール内はフリーwifi完備、電源のある席も多く、極めつけのオーシャンビュー。海好きなフリーランスにはたまらない環境である。波風に吹かれるには少し距離が遠すぎたが、青々とした空と海が交わる美しい景色を見ながら、こころ穏やかに毎日原稿を書いた。

 

沖縄移住

 

移住前には辞めようかと思っていたライターの仕事を、私は沖縄でも続けていた。
 

「沖縄に行ったら海辺のカフェでバイトでもして暮らそう」と考えて東京でもライターの仕事を最小限まで減らしていたら、なぜか逆にライターを続ける気力が湧いた。何事も固執してしまうと心と体は重くなるのかもしれない。

「稼がなきゃ、立派なライターにならなきゃ」という焦燥感や不安を、沖縄移住によってリセットできそうな気がした。沖縄ではもっと穏やかな気持ちでライターの仕事を楽しめるかもしれない。だから、ライターを続けてみることにした。
 

移住後数日間は、原稿執筆も実にはかどった。どことなくのんびりとした沖縄の雰囲気と、美しい海の見える仕事場。ガラリと環境を変えたのが功を奏したのかもしれない。

 

「仕事に疲れて心が弱って軽く死にたくなっていた私を、沖縄の暖かい気候と太陽と自然と人と「なんくるないさ」な雰囲気が包み込んでくれて、晴れて私は心穏やかに生きやすくなり、今は自分らしく日々を楽しみながら過ごしています☆」
 

そんな分かりやすい美談を、ここに書けると思っていた。

 
 

が、そうもいかなくなった。

 

vol.4へ続く»

今月の旅のMAP

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この記事を書いた人

真崎 睦美

真崎 睦美  

フリーライター。1989年大阪生まれ京都育ちの26歳。立命館大学国際関係部卒業。2013年に大学を卒業した後は、子ども教育・不登校支援の仕事に従事する。新卒2年間で3社を退職し、自らの組織不適合を疑って2015年4月にフリーランスへ転向。昔から「書くこと」が好きだったため、勢いでライターになる。ついでに副業で朝キャバ嬢になる。源氏名はマキ。入店から半年で店が潰れて専業ライターになる。2016年6月より東京から沖縄に移住。

ありきたりじゃない旅Guide

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