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沖縄移住 × 働く女のモラトリアム vol.1

仕事で死にたくなってから沖縄移住するまで①

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この連載は... 2016年6月、縁もゆかりも思い入れのカケラもない沖縄に移住した。きっかけは友人からの電話。「組織から逃れて好きなことを仕事にすれば楽しく生きられる」と信じて会社を退職し、フリーライターになってから約1年。仕事と焦燥感と将来への不安に追われて、久々に死にたくなっていたタイミングだった。

沖縄移住

2016年6月、私は沖縄に移住した。
 

平成元年大阪生まれ京都育ち。大学卒業後に横浜で就職。社長とぶつかり2か月でクビ、のちに大阪で転職。体育会系な社風にあっさりメンタルをヘラって日々死にたくなり2か月で退職、のちに横浜で転職。「きっと私に会社員は無理なんだ」とようやく悟り1年半で退職、直後に東京でフリーライターとして独立したのが2015年4月。
 
独立と言えば聞こえはいいが中身は業界未経験の小娘であり、いきなりライターの仕事だけで生計を立てるだけの実力も自信も根性もない。朝はキャバ嬢、昼はライター、夜は家庭教師と一貫性の欠片もない生活を約半年送ったのち、ようやく仕事が軌道に乗り始め、副業を辞めて専業ライターとなった矢先の移住決意である。

 

1-1

 

沖縄には、1度だけ旅行で訪れたことがある。

初めて那覇空港に降り立った瞬間、むわっとした熱気に包まれて少し怯んだ。しかし、カラッとした日光は気持ちよく胸を晴れやかにしてくれた。南国にありそうな木々をバスから見つめていると、日本ではないどこかへ来たようでワクワクした気持ちになった。

 

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名護でグラスボートに乗った。内陸で育った私には見たこともないような美しい海がそこにあった。白、水色、エメラルド。澄んだ海の色は多彩なのだと初めて知った。

海中には、海に負けじと色とりどりな魚たちがいた。サンゴ礁の中を縦横無人に泳ぐ彼らは文句なしに美しく、Instagramにアップする写真を撮ることも忘れるくらい夢中で見続けた。

 

1-3

 

沖縄料理は、とてもおいしかった。中でも私が気に入ったのはソーキそば。少し平たく縮れた沖縄の麺は食べ応えがあり、ソーキ(豚のあばら肉)のぷりぷりした脂身を口にした瞬間に幸福感が私を包んだ。

食堂のおばちゃんが作ってくれたゴーヤチャンプルは、私のゴーヤ嫌いを瞬時に吹っ飛ばすパワーと優しさがあった。つまり、とってもおいしかった。

 

気候、海、街、食べ物。

どれをとっても最高だった。
 

あの旅行以降、私の胸には沖縄の思い出と憧れが刻み込まれた。

「いつかはこの素晴らしい場所に移り住みたい」

そう望んで止まなかった。

 
 

なんてことは一切ない。

 

上記の文章は最近沖縄旅行に行った友人の体験談をもとに書いた。Instagramなど登録すらしていない。
 

私が過去に1度だけ沖縄へ行ったのは事実。実際に沖縄は素晴らしかったと思うのだが、そもそも旅行に行ったのは20年近く前の幼少期。記憶に残っているのは、灼熱的な暑さ、殺人的な日光、そしてグラスボートで船酔いして生産した吐瀉物くらいのものである。どう転んでも移住の動機にはなり得ない。
 

突然すぎる私の決断、そして移住先に沖縄を選んだ脈略のなさに、周りの友人たちも当然首をかしげた。

友「沖縄にゆかりは」
私「ない」
友「沖縄に住みたい場所が」
私「ない」
友「沖縄に思い入れでも」
私「ない」
友「なんで沖縄」
私「ほんまそれ」
 

沖縄行き決定までの経緯について、絶賛死にたかった会社員時代から説明させてほしい。

 

1-4

 

「自分が好きなことを思いっきりやってみたいので、仕事を辞めたいです」
 

社長にそう告げて、2度の転職を経て1年半勤めた会社を辞めた。

社長も「その理由ならいいよ。若いうちに思いっきりやってみな」と快く私を送り出してくれた。
 

「その理由」だったから、たぶんスッパリ辞められた。そうではない理由、「仕事がつらいから辞めたい」と泣き言をこぼしたことも幾度かあったが、そのたびに社長は「辞めるな」も「辞めていい」とも言わず「本当に辞めたいの?」と私に問いかけた。

その問いに対して私は嗚咽をこぼしながら「でも正社員のカードを失って生きていく自信がないです」と恐ろしくクズな回答をし、社長や同僚の配慮のもとしばらく会社にしがみつき続けた。
 

それなりの志を持って踏み込んだ子ども教育の世界。会社で働く理由をカッコ良く取り繕うことはいくらでもできたけど、社会人になって挫折と挫折と挫折を繰り返した私の本音は「生活に必要な給与をいただくために、会社を辞めるわけにはいかない」がぶっちぎり。
 

会社を辞めてお金と仕事と居場所と世間的評価を失うことが怖い。
 
  
会社に寄生する当時の私はただただ金と不安の奴隷だった。

 

1-5

 

でも、結局辞めた。
 

話すと長いので省略するが、とある転機があり「正社員のカードを捨てることよりも、自分の心に嘘をつき続けて生きるほうが私にとっては自殺行為なんだ」と気付いた。

お金や不安払拭のために無理して働き精神的にじわじわ死ぬなら、上手くいくかは分からないけど組織に属さず自分の好きなことを仕事にしてのたれ死ぬほうがいい。

好きなことは「書くこと」。書く仕事と聞いて思いつくのは「ライター」。だから私はライターになった。

 

副業をこなしつつ、1案件1000~5000円のお仕事をガンガン受けて日々原稿を書いた。どれだけ書いても稼ぎは少なくしんどさもあったが、自分の書いた文章でお金をいただけることには嬉しさを感じた。露出が増えると声がかかる機会も増える。原稿の単価は上がっていった。順調だった。
 

私の所感だが、Webライター業界には「苛立ち」と「焦燥感」が渦巻いている気がしていた。メディアらしきものがネット上に氾濫し、経験問わず誰もが”ライター”として文章を書いて発信できる時代。
 

「ライターの質が下がっている」

「ライターもどきのような仕事を続けていたら数年後に必ず淘汰される」

「10年後も食えるライターでいるために必要なことは○○である」
 

ライター界隈で横行する言葉たちを見つめながら「私も将来専業でずっと食っていける立派なライターにならなきゃ」と焦りを覚えた。

実力のある先輩方に食らいついて指導を仰ぎながら、とにかくたくさん原稿を書いて、書いて、書いて、書いて、書きまくった。

 

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2016年1月。精神的に死んだ。
 

朝起きられず、原稿を書く気も起きず、ベッドにぐったり横たわりながら思った。
 

「これ、会社員時代と同じやつや」
 

「好き・楽しい」というモチベーションはいつしか「将来立派に稼げるライターにならなきゃ」という焦燥感にすり替わった。

金と不安をモチベーションに走ると短期間で心が死ぬ。会社員時代に学んだことをあっさり繰り返そうとしていたことに気付いた。
 

今を犠牲にした将来には、一体どれだけ執着する価値があるのだろう。そう考えるほどに私は動けなくなっていった。

 

2月。

仕事と収入を減らして、日々の余白を増やした。
 

沖縄に住む友人から2年半ぶりに連絡がきたのは、そんなタイミングだった。

 

vol.2へ続く»

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この記事を書いた人

真崎 睦美

真崎 睦美  

フリーライター。1989年大阪生まれ京都育ちの26歳。立命館大学国際関係部卒業。2013年に大学を卒業した後は、子ども教育・不登校支援の仕事に従事する。新卒2年間で3社を退職し、自らの組織不適合を疑って2015年4月にフリーランスへ転向。昔から「書くこと」が好きだったため、勢いでライターになる。ついでに副業で朝キャバ嬢になる。源氏名はマキ。入店から半年で店が潰れて専業ライターになる。2016年6月より東京から沖縄に移住。

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