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郷愁旅記 vol.1

行き先はどこでもよかったのだけれど

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この連載は... 目的のない放浪の先々で思いがけずして、ゆるやかで暖かい気持ちにめぐり合う。けして大げさな出来事は起こらないけれど、少しずつ、少しずつ心がほぐされていく物語。

郷愁旅記

 

「武田信玄は水洗トイレを使っていたんだ」

 

高校時代、用を足す度にいつも嬉々としてそう語る友人がいた。

そのせいで、今もトイレへ行く度に武田信玄と、友人のこれ以上ないくらいの自慢げな笑顔が浮かんでくる。あいつは、これくらいのことで何故あんなにも胸を張ることができたのだろう。案外、人生を楽しむにはとても大事な才能なのかもしれないな、と思うようになったのは社会人になってからだった。

 

僕の友人の微笑ましい才能についてはともかく、そんなわけでその頃から武田信玄には興味を持っていた。だからと言って信玄についての書籍を読んだり、ゆかりの地を訪れたりしたことはないけれど、インターネットで信玄を検索したり、土産物屋にある風林火山のキーホルダーには目がとまる。その程度の淡い興味を高校時代から持ち続けていた。そんな興味が沸々と沸き上がる時が来るとは思ってもいなかった。

 

社会人2年目の夏、同期とその知り合いも交えた飲み会があった。ちょうどその時期はいわゆる繁忙期にあたり、退社が終電近くになることも珍しくない生活を送っていた。だから、本当は飲み会なんて参加せずにそのまま家に帰って、この後もしばらく続く繁忙期を乗り切るために1秒でも多く睡眠を貪りたかった。しかし、飲みの誘いを立て続けに断った後だったので、そろそろ参加しておかないと気まずくなる頃合いかな、と思い気が進まないながらも参加することにしたのだった。

 

そんな極めて日本人らしい理由で参加した飲み会で彼女に出会った。人見知りの気がある僕には珍しく、初対面の彼女とはなぜか馬があった。性欲がないこと、ウーロン茶が好きなこと、他人との距離の取り方を知らないこと、反抗期がなかったこと、洋服を買う時はいつも白か黒を選んでしまうこと。そんなことに共感し合いながら話しているうちに、彼女が山梨に住んでいることを知った。なんでも、今日はたまたま東京に出てくる予定があり、そこでこの誘いを受けたという。

 

「一度、遊びにおいでよ」

 

彼女にそう言われた時、無意識にそうしようかな、と答えていた。もちろん、彼女ともう一度会って話したいという思いもあったが、帰り道に歩きながら山梨に想いを馳せている僕の頭の中に友人と信玄の顔が浮かんできたとき、無意識のうちに僕が山梨行きを決めた本当の理由が少しわかった気がした。

 

彼女とは甲府駅で待ち合わせ、僕は東京駅からあずさで向かうことにした。あずさに乗り込んで窓際の席に腰を下ろすと、今から旅行に行くんだな、ということが急に現実味を帯びる。この感覚は、旅に出て巡り合うあらゆる瞬間の中でも僕がとりわけ好きな瞬間だ。カチリ、と日常からスイッチが切り替わる感覚。ケとハレが交差する刹那。突如として幕が引かれる日常。

しばらくは揺られながら、家から持ってきた宮沢賢治の詩集をなにともなく眺めていた。目が疲れてきてふと窓の外に目をやると、都内から1時間ほどとは思えない大自然の中にいた。悠然と屹立する山々は、力強く深い緑に覆われ、その合間を削り取るように澄んだ川が滔々と流れる。月並みではあるけれど、都心で日々擦り減らした心が洗われるな、と思わずにはいられなかった。それになにより、こんな本格的な自然 -本格的な自然というのは些か表現として妙ではあるけれど- がこんなにも近くにあるとは知らず、そのことにひどく驚いた。驚きと解放感の余韻に浸っているうちに、僕を乗せたあずさは甲府駅へと到着した。

 

駅のホームは思ったよりもこじんまりとしており、県庁所在地に似つかわしくないほど落ち着いていた。全国の県庁所在地で最も人口が少ないという彼女の言葉が蘇る。だからどうということもないのだけれど、ピタリとパズルのピースがはまるような納得感があった。しかし、ふと僕の目が甲府城を捉えた時、一転した緊張感とともに身が引き締まる思いがした。あるいは、肩透かしにも似た油断に身を任せすぎていたせいかもしれないが、堂々と構えるその揺るぎない存在感に気押され、羞恥心にも似た感情が込み上げる。

 

改札を抜け、辺りを見回すと斜向かいの木製のベンチに腰掛ける彼女を見つけた。

彼女と合流すると、僕の足は自然と甲府城へと向かった。彼女は特に予定も立てていなかったようだし、なにより甲府など彼女からすれば、今さら行きたいところもないだろう。そんなわけで、僕の行きたいところについてきてもらうことにした。

 

舞鶴城なんて呼ばれてはいるものの、眼前に広がるそれと対峙している僕からすれば、そんな優雅なものには感じられなかった。建造当初の何人の侵入も許すまいとする純然たる意志がそのまま形を為しているように思える。それだけに、城跡内にある公園で無邪気に遊びまわる子供達に猛烈な違和感を覚えた。おそらく、あの子達にとっては思う存分走り回れる遊び場でしかないのだろう。そう思うと、先刻の違和感がじんわりと温かく感じられた。城なんて興味のなかった僕だけれど、こうして眺めているだけでも案外いいものだなと思う。過去から現在を繋ぐシンボル。そこに宿る重々しいまでのリアリティから生まれる荘厳さ。空を見上げながら、敵わないなぁ、とつぶやいた僕の横顔を見つめながら彼女が微笑んでいるのがわかった。

 

僕が、甲府城にある種打ちひしがれている間に、すっかりお昼時を過ぎていた。思えば、起きてから口にしたのは東京駅で買ったウーロン茶だけ。そろそろお昼にしようか、と言うと彼女は嬉しそうにうなずいた。今日は一人ではないというのに、少し城に夢中になりすぎたかもしれないなと心の中で頭を下げた。

 

昼食は駅前のチェーン店でほうとうを食べようということになった。自分でも笑ってしまうくらいミーハーな気もしたけれど、やはり山梨に来たからには食べてみたいとは誰しもが思うところだろう。初見の店ではいつもそうするように、メニューの一番右上に書いてあるかぼちゃほうとうをオーダーした。普段の外食は、いつも行くいくつかの店ばかりをルーティンで回り、頼むメニューも店ごとに決まっている。それでも、新しいお店に行くようなことがあれば、券売機の左上ないしメニューの右上を頼むのが僕の決まりである。こうしたところに性格が出るんだろうなと、自嘲気味に笑っていたが彼女も同じだと知り、少し許されたような気持ちになった。

 

運ばれてきたかぼちゃほうとうがあまりにも熱そうで、思わず目をしかめる。呆れる話だが、今頃になって真夏にほうとうは熱いよなと思い至った。周りを見渡してみると、ほうとうのつけ麺のようなものを頬張っている。彼女に訊ねたところ、おざらというものらしい。みんな賢いなぁとあまりにも幼稚な感心をしながら、頼んでしまったものは仕方がないと、熱さを精一杯警戒しながら口に運ぶ。さすがに有名なだけあって美味い。味噌ならではの深みのある、ホッとする味に思わずため息が漏れる。もちろん美味しいのだけれど、それよりも心が深くまで落ち着く優しさが印象的だった。ふと、県庁所在地に似合わない素朴な駅のホームを思い出す。

背伸びをしない街。緩やかで柔らかいところ。深く、深く根の張っている場所。僕は山梨が好きになるかもしれない。火傷した舌を水で冷やすように飲みながら、そう思った。

 

ほうとう屋を後にして、武田神社に寄って東京に戻ることにした。この街に興味を持ち始めていたし、本当はもっとゆっくり色々なところ見て回りたかったけれど、電車が混み合う時間に帰るのは気が滅入る。それに、あれこれと詰め込みながら早足で観光することは、この街には似合わない。そんな確信に似た思いがあった。

 

甲府駅で帰りの切符を買いながら、次の行き先を考える。昇仙峡は前から訪れてみたかった場所だし、石和温泉も気になる。温泉はもとより好きだが、この地に温泉というのがすごくしっくりくる。宝石も有名と彼女が言っていたことだし、宝石美術館に行くのも乙か。新しいことには奥手なはずなのに、こんなことを考えている自分に驚く。山梨で新しい自分に出会えたのかな、いい年してそんな言葉が頭をよぎり、無性に恥ずかしくなる。高校の友人、あいつなら「俺、山梨で新しい自分に出会ったんだ」と躊躇なく自慢げに語るだろうな、と一人で笑みを浮かべる。

 

あずさに乗る前にトイレへ寄っておこう。東京へはちょっとした長旅になるし用を足しておきたかったが、理由はそれだけではないかもしれない。

今月の旅のMAP

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この記事を書いた人

寺本 涼馬

寺本 涼馬  

千葉県松戸市出身の25歳。大学卒業後、大手人材系企業にて営業を2年半経験した後、退社。
今はもう失われてしまったもの。二度と戻ることのできない場所。記憶の中にしかない温かい風景。そうした甘美なノスタルジーに心を揺さぶられます。

泣き虫は夕焼けの風に歌う

ありきたりじゃない旅Guide

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